プログラムを書くことをコーディングという。コードを書くからコーディングなわけだが、実際の世の中を見ると本当に自分で書いているコードはどのくらいであろうか?
ある人はプログラミングをググることといい、あるひとはそれを調査といい、あるひとは書籍のハンズオンの範囲を再利用する。
自分で考えて、自分のコードとして書いている部分というのは、まあ少ないだろう。言い換えると、コピペしている部分が大半ではないだろうか。特に最近では生成AIが圧倒的に質の高いコードを生成してくれる。
実際に、活用していてものすごいスピードで「もの」をつくるスピードが速くなっている。はやいだけではなくて、精度の高い、つじつまの合わないものをつくりださないという安心感が、これまでのプログラミングを仕事としてきた中での不安を消し去ってくれている。
しかしだ。
新たなストレスは確実に存在するので、その話をしよう。
AIのスピード感に感動するのだが、その速さについていけないことへの苛立ちが生まれる。
新規であれば、それをそのまま動かしてみればいい。
そして、動く。
さらに、彼はいくつかの提案をしてくれる。
それを僕は受け入れる。
そして、あらたなコードを提示してくれる。
差し替えて、そのコードを動かしてみる。
「あれ?エラーだ。」
エラーを伝えると、エラーの原因と修正案、そして修正したコードを提示する。
また差し替えて、動かしてみる。
「あれ?エラーだ。」
なんかおかしいな、とおもったら、先に作ったメソッドがごっそり消されているわけだ。ソース全体を書き換えてくれたようなものと思い込んで差し替えていたのだが、それは今回の要求だけの差分であった。
それに対して、動かしてみると、エラーがでたら、そのエラーにだけ対して教えてくれる。
なるほど。確かにこちらの要求に対してだけ適切に対応する。
が、おもしろいことに、これを3回くらい繰り返したら、気づいたように、何も言わずに、消したメソッドをすべて書き出した。
人間とチャットでやりとりをするAIと、そこから生成するAIとのやりとりは、私は日本語で書いているが、それをチャットは英語に変換して、その先、たまにバグって見えることがあるがpythonの世界でのjson形式のパラメータファイルだったり、要求を記述して、それが生成AIに渡されている。まあ、どこまで考慮されているのかではなく、勝手に考慮されているわけではないということに気が付けばなんてこともない。
人間社会であると、これが「何でわかってくれないんだよー」とか泣き事を云う愚か者が多いが、「お前の要求の仕方に問題があるのである」。